#40 過去でつながる関係がしんどくなった理由【自分探しログ】

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最近、自分の中でずっと考えていることがあります。

たぶん、僕は過去にあまり執着がないんだと思います。

思い出話が嫌いなわけじゃないんですけど、正直、そこに強い興味があるかって言われると、あんまりなくて。

友達と「昔こうだったよね」って話すのも楽しいけど、それよりも「今何してるの?」とか「これからどうしていくの?」みたいな話の方が、自然と聞きたくなるんですよね。

だからなのか、昔すごく仲が良かった人でも、今まったく接触がなかったら、僕の中ではだんだん「いらない」に分類されていく感覚があって。

嫌いになったわけでもないし、何かされたわけでもないのに、ただ「今、関わっていない」という理由だけで、存在感が薄れていくというか。

これって冷たいのかなって思うこともあります。

でも、自分の感覚としては、物を捨てる感覚に近いんですよね。

使っていない物は、必要ないって判断して、ゴミ箱に入れるじゃないですか。

それと同じ感覚で、接触していない人は「いらない」に分類されている感じがして。

数字が多いのが嫌なわけでもないんです。

もし、毎日100人と連絡を取っていたら、その100人はたぶん全然気にならないと思います。

問題なのは「使っていない関係」が残っていること。

たぶん、僕は「過去」じゃなくて、「今」と「これから」だけを見ているんですよね。

過去は記録であって、判断の材料にはあまり入ってこないというか。

でも、完全に割り切れるわけでもなくて。

今まったく接触していなくても、「誘われたら会いに行くな」って思える人は残しているし、逆に「まぁ仲良かったよね」くらいの人たちは、全部微妙ゾーンに入っています。

誘われたら、「行ってもいいかな」とは思う。

でも、即答できない。

たぶん本心では、そんなに行きたいわけでもない。

嫌いじゃないけど、必要とも言えない。

その中間の感じが、すごく疲れるんですよね。

自分の中では、100か0かで処理したい感覚が強くて。

確実に必要だと思える人は100で残す。

それ以外は0。

本当はそれだけの話なのに、その間にある「微妙」が多すぎて、ずっと判断し続けている感じがします。

多分、僕がスッキリさせたいのって、人間関係そのものじゃなくて、この「曖昧な状態」なんだと思います。

残すのも疲れるし、切るのも疲れる。

どっちにしても疲れるなら、じゃあ何が一番しんどいのかって考えると、「判断し続けていること」なんですよね。

「過去に仲が良かった」という事実よりも、

「今関わっているかどうか」

「これから関わりたいかどうか」

その方が僕にとっては重要で。

だから、過去だけで繋がっている関係が、すごく処理しづらい存在になっている気がします。

冷たい人間になりたいわけでもないし、孤独になりたいわけでもないんですけど、ただ、世界をシンプルにしたい感覚は確かにあって。

「ノイズが少ない状態で生きたい」というか。

「管理しなくていい状態でいたい」というか。

本当は、家族と親友だけでいいんじゃないか、って思う自分もいます。

でも、そこまで割り切れない自分もいて。

たぶん、その間で揺れているんだと思います。

人を切りたいわけじゃなくて、接触していない状態を消したいだけなのかもしれないし、関係そのものじゃなくて、関係の「構造」をシンプルにしたいだけなのかもしれないし。

正直、まだよく分かっていません。

自分でも、どこまでが本音で、どこまでが防衛なのか分からなくなるときもあります。

ただ、過去よりも今と未来を見ている感覚だけは、多分ずっと変わっていなくて。

それが、人との距離感とか、関係の持ち方に、そのまま出てきているだけなのかもしれません。

これが正しいのかどうかも分からないし、良いのか悪いのかも分からないです。

でも今は、この違和感とか、この疲れとか、この「スッキリさせたい感じ」を、ちゃんと見ている途中、という感じがします。

たぶん、まだ考えている途中で、答えが出るような話でもなくて。

しばらくは、この感覚と一緒に考え続けるんだろうな、という気もしています。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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