仕事は誰かのためになっている。
社会の役に立っているから、その対価としてお金がもらえる。
そんなことは知ってる。
僕はそんな社会の仕組みの話に興味はない。
人の役に立つことが、どれだけ幸せなことか。
それも知ってる。
でも、僕がそれよりも重要視しているのは、自分の心の話。
人の役に立てて嬉しいのは、仕事に限った話ではない。
お年寄りに席を譲るだけでも嬉しい。
感謝されると、自分の存在意義を見出せるから。
でも、自分の心が廃れているとき、人のためになんて思えるだろうか。
辛くても辛くても、家族のために働く。
それは、人のためっていう間接的な理由があるだけで、自分の責任を全うするため。
愛しい家族のために働けば、自分の存在意義も見つかるから。自分を肯定できるから。
大富豪になったら働かないでしょう?
大富豪が働くのは、根底に「自分が楽しい」という感情があるから。
自分の心を見てるんだよ。
結局、100%人のためになんて、人間は動けないんだと思う。
必ず自分のためにも動いているんだよ。
稼いだ金を見知らぬ人に使うだけでも、なんだか嬉しいよね。
全くの他人だとしても。
それは、傍から見たら「人のため」かもしれないけど、自分がやりたくてやっていること。
それは、人を喜ばせられる自分に存在意義を見出しているんだよ。
それは、人の悲しみに寄り添える自分の優しさが嬉しいからなんだよ。
なのに、世間は「人のため」「人のため」って綺麗ごとばかり言って。
なんで自分のことをもっと考えちゃいけないんだろう。
「人のため」って、そんな理由だけで、僕は動くことが出来ない。
これを言っても、皆否定してくるんだ。
僕は自己中人間、いつか罰が当たるかもね。
僕は税金・保険料を払いたくないから、誰かの役には絶対に立ちたくないから、人を助けたくないから、そんな意地悪がしたいから働かないんじゃなくて、世間の当たり前を疑っているだけ。
自分の心と当たり前の間にズレがあるから、立ち止まっているだけ。
自分の好奇心に従って、物事に没頭して、何かを発明した偉人たちは、人の役に立たなかっただろうか?
形になるまでは誰の役にも立たなかったかもしれない。
でも、結果、多くの人の役に立った。
それは、自分の「好き」を貫き通した結果だと思う。
この世界は、僕みたいなひねくれ者がたくさんいたら回らないんだろう。
知ってる。
でも、僕は自分の心に嘘はつきたくないんだ。
自分の心を疑っちゃいけない。
それが、たとえ当たり前から逸脱していようとも。
自分を本当に分かってあげられるのは、自分だけ。
どんなに愛しい人でも、自分自身には適わないんだよ。
もっと自分と向き合って、自分のために生きてもいいんじゃないかな。
「人のため」っていう理由は輝いて見えるよ。
誰も否定しないし。
だから、皆「自分のため」って言わないんだ。
怖いからさ。自己中って思われて嫌われるからさ。
最優先は「自分」でいい。
その大きな核の周りに「人のため」という理由があればいい。
核がなければ、人生はつまらないから。
これは僕の人生。これは僕の命。
人のために。これは「自分」という核があってこそ、本当の意味で輝くんだ。
