社会の当たり前と僕の価値観の違い

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こんばんは、しゃーろです。

今晩、僕の人生設計について少し両親に話をしたら、価値観の違いから大論争に発展しました。

僕も上手く言語化が出来なかったので、今の気持ちを少しでもブログにまとめたいと思います。

僕は大学2年生過ぎから、ずっと将来の生き方について模索してきました。

結局、正解と呼べるような答えにはたどり着けず、今は大学を卒業してニートになってしまいました。

やっと明確な働く理由が自分の中に生まれたので、これからそこに向かおうということで話をしたんです。

「何でもいいから、とにかく働かないと」。

こう言われました。

新卒で天職と呼べるものに出会うことは、まずありませんよね。

なので、とりあえずやってみるというのは大事なのかもしれません。

ただ、その核となる部分には、「その仕事がなんとしてもやってみたい」という衝動や「何かしら明確な稼ぐ目的」が必要だと思うんです。

これは、あくまで僕の場合ですが。

資本主義社会では、資産家でない限り働かないと生きていくことは難しいですよね。

「働くのは当たり前」。

このように何度も言われました。

働くことで誰かのためになってるんだ。自分は誰かのために働いている。

いや、皆自分のために働いているんでしょう?

僕はそう思うんです。

誰かのためって、ただの綺麗ごとにしか聞こえません。

だって、誰かのためにって本気で思ってたら、ボランティアでお金をもらわずに土日も休まず活動できます。

なのに、皆「仕事に行きたくねぇ」って言いながら職場に向かって、お金のために働いていますよね。

お金の先に「誰か」がいるのかもしれませんが、それは義務の範疇か、自己満足でしょう。

働くのは当たり前で、働かざる者は食うべからず。

じゃあ、働いてない者は悪なのか?

社会のためになってない。この世は皆で支え合っているのに。

僕はこんな取ってつけたような考え方に嫌気がさします。

社会の役に立つために働く。面接ではその会社への志望動機を言うでしょ?って。

皆同じようなことを口にして、心から思ってもないことで塗り固める。

「僕はそれが大嫌いだから就活が出来ないんだ」と伝えたら、「面接はそれが当たり前だから仕方がない」と言われました。

僕も同じようにやれと。

何で皆、当たり前のように同じような就活をして、就職していくんだろう。

何で皆、本心と向き合わずに後付けの理由で満足してしまうんだろう。

何で皆、誰かのため、社会のためって綺麗ごと言って無理やり働くんだろう。

いや、構わない。僕は別の道を行く。

そう思いながら、起業をして成功している人を横目に、現状何もできていない僕自身が惨めで悲しくて仕方がありません。

稼いだ金は泡のように消えていく。

あなた(子ども)のために必死で働いたのに、これは意味がなかったのか。

そう言われましたが、これは親の義務ですよね。

僕のために働いたんだから…なんて言われて、僕はどうすればいいんでしょうか?

僕はその恩返しのために、親が望む人生を探して生きなければならないのでしょうか?

今まで何も知らなかった。誰も何も教えてくれなかった。

当たり前を疑い始めて3年目くらい、今必死で考えて動いているのに。

でも、僕はまだ何も成果を出せていません。

そして、その間、面倒を見てくれた両親、現在僕に家を貸してくれている祖母には頭が上がりません。

でも、僕は僕の信念を貫き通す。

当たり前から逸脱しているから、そりゃ少数派になるのは当然です。

周りから見たらおかしいですよね。

必死で価値観が違うことを伝えようとしましたが、上手く伝えることはできませんでした。

とにかく僕は、働くためにこの世に生まれてきたんじゃない。

やりたいことをするために生まれてきたんだ。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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