今日は、「子ども性を失わずに、大人として存在意義を持つことは可能なのか」。
みたいなことを、ずっと考えていました。
うまく言えるか分からないんですけど、僕はたぶん、いつまでも子どものようでいたいんだと思います。
責任を取りたくないとか、楽をしたいとか、そういう意味じゃなくて。
ただ、純粋でいたいというか。
自分が気になることに、理由もなくワクワクできる感覚を、なるべく失いたくない。
子どもの頃って、「誰かの役に立っているか」とか「生産性があるか」とか、そんなこと考えずに生きてたと思うんですよね。
段ボールで何か作ったり、頭の中で勝手に物語を広げたり。
自分の世界だけで、いっぱいいっぱいだった。
でも大人になると、どうしても「意味」とか「価値」とかが、ついて回ります。
特にお金とか、仕事とか。
気づいたら、生きている理由を、「誰かの役に立っているかどうか」で測ろうとしていました。
正直、僕はお金があまり好きじゃなかったです。
というか、自分が稼げる人間だと思えなかった。
上を目指しても届かない気がして。
その時点で、ちょっと、逃げていたんだと思います。
「資本主義社会が嫌だ」みたいなことも考えたことがあります。
でも、本当は社会が嫌なんじゃなくて、「その中でうまく立ち回れない自分」が嫌だっただけかもしれません。
一方で、ニートだった時期を振り返ると、すごく苦しかった記憶もあります。
自由なはずなのに、「自分は何の役にも立っていない」という感覚が、ずっと離れなかった。
働くようになって、お金をもらうようになって、それが、「誰かの役に立った証明」みたいに感じられた瞬間があって。
「ああ、存在意義って、こういうふうに手に入るのかもしれない」って思ったんですよね。
でも同時に、それだけで生きたいわけでもない。
誰かの役に立つためだけに生きるのも、ちょっと違う気がするんですよ。
最近考えていたのは、「役に立たない期間」にも名前をつけられないか、ということでした。
思いついたのは、「人生のスパイス」。
正直、これが正しいかは分からないです。
でも、主役じゃないけど、無駄とも言い切れなくて。
あとから振り返ると、味を決めていたかもしれない時間。
役に立たない自分を、一番許していないのは、たぶん僕自身なんですよね。
他の人は、こんな僕のこと、ほとんど気にしていないと思います。
それなのに、自分だけがずっと、「意味がない」「価値がない」って、言い続けている。
でも、美しい景色を見て、ただ感動した瞬間とか。
何かやりたいことを見つけて、少しだけ前を向けた瞬間とか。
そういう時、誰の役にも立っていなくても、「生きていてよかった」とは、確かに感じていました。
たぶん僕は、子どものように身軽でいたいし、同時に、誰かの役に立つ存在でもありたい。
その両方を、うまく同時に持てる場所を、まだ探している途中なんだと思います。
答えは出ていません。
出さなくてもいいのかもしれません。
とりあえず今は、役に立たない時間も含めて、これを全部、「自分の人生」だと思って、もう少し歩いてみようかな、そんなことを考えていました。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
