#11 子どものまま、大人として生きていくことは可能なのか【自分探しログ】

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今日は、「子ども性を失わずに、大人として存在意義を持つことは可能なのか」。

みたいなことを、ずっと考えていました。

うまく言えるか分からないんですけど、僕はたぶん、いつまでも子どものようでいたいんだと思います。

責任を取りたくないとか、楽をしたいとか、そういう意味じゃなくて。

ただ、純粋でいたいというか。

自分が気になることに、理由もなくワクワクできる感覚を、なるべく失いたくない。

子どもの頃って、「誰かの役に立っているか」とか「生産性があるか」とか、そんなこと考えずに生きてたと思うんですよね。

段ボールで何か作ったり、頭の中で勝手に物語を広げたり。

自分の世界だけで、いっぱいいっぱいだった。

でも大人になると、どうしても「意味」とか「価値」とかが、ついて回ります。

特にお金とか、仕事とか。

気づいたら、生きている理由を、「誰かの役に立っているかどうか」で測ろうとしていました。

正直、僕はお金があまり好きじゃなかったです。

というか、自分が稼げる人間だと思えなかった。

上を目指しても届かない気がして。

その時点で、ちょっと、逃げていたんだと思います。

「資本主義社会が嫌だ」みたいなことも考えたことがあります。

でも、本当は社会が嫌なんじゃなくて、「その中でうまく立ち回れない自分」が嫌だっただけかもしれません。

一方で、ニートだった時期を振り返ると、すごく苦しかった記憶もあります。

自由なはずなのに、「自分は何の役にも立っていない」という感覚が、ずっと離れなかった。

働くようになって、お金をもらうようになって、それが、「誰かの役に立った証明」みたいに感じられた瞬間があって。

「ああ、存在意義って、こういうふうに手に入るのかもしれない」って思ったんですよね。

でも同時に、それだけで生きたいわけでもない。

誰かの役に立つためだけに生きるのも、ちょっと違う気がするんですよ。

最近考えていたのは、「役に立たない期間」にも名前をつけられないか、ということでした。

思いついたのは、「人生のスパイス」。

正直、これが正しいかは分からないです。

でも、主役じゃないけど、無駄とも言い切れなくて。

あとから振り返ると、味を決めていたかもしれない時間。

役に立たない自分を、一番許していないのは、たぶん僕自身なんですよね。

他の人は、こんな僕のこと、ほとんど気にしていないと思います。

それなのに、自分だけがずっと、「意味がない」「価値がない」って、言い続けている。

でも、美しい景色を見て、ただ感動した瞬間とか。

何かやりたいことを見つけて、少しだけ前を向けた瞬間とか。

そういう時、誰の役にも立っていなくても、「生きていてよかった」とは、確かに感じていました。

たぶん僕は、子どものように身軽でいたいし、同時に、誰かの役に立つ存在でもありたい。

その両方を、うまく同時に持てる場所を、まだ探している途中なんだと思います。

答えは出ていません。

出さなくてもいいのかもしれません。

とりあえず今は、役に立たない時間も含めて、これを全部、「自分の人生」だと思って、もう少し歩いてみようかな、そんなことを考えていました。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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