最近、「自分が苦しみを正当化して生きているんじゃないか」って考えていました。
うまくいかないことが続いたときとか、何年も結果が出ていないときに、「この時間には意味がある」って思わないと、自分を保てなくなる瞬間があって。
苦しんでいるからこそ、今の自分には価値がある。
苦しんでいるという事実が、「僕がちゃんと生きている証拠」みたいになっている気がします。
正直に言うと、何も成果が出ていない自分を、そのまま認める勇気がないんだと思います。
だから、苦しみを価値に変換している。
宝くじが当たった人とか、一気に成功した人を見たときに、羨ましいと思う気持ちは確かにあるんですけど、同時に、どこかで否定したくなってしまう自分もいて。
「苦しんでないじゃないか」、「運が良かっただけじゃないか」って。
もし自分が同じ立場になったら、たぶん素直に喜ぶはずなのに、今の僕は、そういう人生をどこかで軽く見ないと、自分が惨めになってしまう。
それって、結構残酷だなと思います。
僕は今の苦しみを、
「これは後で意味になる」
「今は物語の途中なんだ」
って言い聞かせながら生きている。
そうしないと、ただ何も得られなかった時間になってしまうから。
でも、ふと考えるんです。
「もし苦しみが価値じゃなくなったら、僕は何を失うんだろう」って。
たぶん一番失うのは、「自分を肯定するための理由」なんだと思います。
苦しんでいる=挑戦している。
苦しんでいる=諦めていない。
苦しんでいる=価値がある。
この式が崩れたら、今の自分は何を根拠に立てばいいのか、分からなくなる。
それに、僕はどこかで
「苦しんだ人のほうが、人の痛みが分かる」
「苦しんだからこそ、寄り添える」
って信じているところもあって。
それも、本当なのか、自分を守るための物語なのか、正直まだ分かりません。
苦しみを乗り越えた人は認められる。
苦しまずに手に入れたものは、認められない。
そんな価値観を、いつからか自分の中に置いてしまっていた気がします。
だから僕は、苦しみを手放したくないのかもしれない。
苦しんでいる自分を、誰かに、そして自分自身に、見せ続けたいのかもしれません。
「まだ諦めてない」
「ちゃんともがいてる」
そう思える限り、自分を完全に否定せずにいられるから。
本当は、今すぐ楽になりたい気持ちもあります。
運が良かっただけの人生でもいいから、安心したいと思う瞬間もあります。
でもきっと、その状態になったらなったで、「僕はまた別の苦しみを探すんだろうな」とも思います。
苦しみがないと、自分が空っぽに感じてしまうから。
この考えが正しいのか、ただの逃げなのか、今はまだ分かりません。
ただ、僕は確実に、苦しみを正当化しながら生きている。
それだけは、今日ははっきり見えていました。
ここから先、どうなるのかは、まだ考え途中です。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
