最近ずっと考えてることがあって、「意味」ってなんなんだろうな、って。
自分の人生に起こることには、全部意味があるって、多分僕は信じてるんだと思います。
というか、信じたいというより、信じないと怖いんです。
昔は、意味なんて見えない出来事もたくさんあったし、「これ何のためなんだろう」って思うことも普通にありました。
でも今は、なるべく「全部に意味がある」と思える選択をしようとしてる気がします。
「無駄な時間を生きたくない」って感覚がすごく強くて。
失敗はいいんだけど、無意味なのは嫌、みたいな。
失敗は成長に変換できるけど、何も生まれない時間は、どう扱えばいいのか分からない。
だから多分、僕は人生を「なるべく綺麗に形作りたい」って思っています。
物語みたいに、一貫してて、説明できて、意味が繋がってる人生。
失敗も含めて、全部回収できる人生。
こうやって言葉にすると、ちょっと不自然だなって思います。
人生って、本来そんなに整ってない気もするし、もっと雑で、曖昧で、無意味な時間もあっていいはずなのに、僕はそこを許せてない感じがする。
「意味を探している状態」は、生きてていい。
でも、「意味を探そうともしない状態」は、生きるに値しない。
そんな感覚を、どこかで持ってしまっています。
口に出すと、結構きつい考え方だなって思うけど、正直、心のどこかにそれがあるのは否定できなくて。
たぶん僕は、意味そのものよりも、「向かっている状態」に執着してるんだと思います。
何かに向かってる自分。
探してる自分。
成長しようとしてる自分。
変わろうとしてる自分。
そういう自分じゃないと、存在していい気がしないというか。
逆に言えば、立ち止まってる自分とか、何も探してない自分とか、意味を生産してない自分に、居場所を与えられてない。
それが、たぶん苦しさなんだと思います。
「意味を与え続けなければならない人生」
この言葉は、文字にすると変だなって思うけど、たぶん今の僕は、そういう生き方をしている。
無理やり意味を探して、無理やり成長に変換して、無理やり物語にして。
それが安心でもあるけど、同時にすごく窮屈で、ちょっと息苦しい。
じゃあ意味がなくてもいいのか、って言われたら、それも正直、まだ怖いんです。
意味がなくていい、向かわなくていい、探さなくていい、何も生まれなくていい、
こんな世界に立ったとき、自分がどう存在すればいいのか分かりません。
たぶん僕は、「意味」じゃなくて、存在の根拠を探してるんだと思います。
「意味があるから生きていい」じゃなくて、「生きてること自体が許される感覚が欲しい」みたいな。
でも今はまだ、それを信じきることができない。
だから今日も、意味を探してるし、意味のある選択をしようとしてるし、意味のある人生を作ろうとしてる。
それが正しいのかどうかも分からないし、自然なのかどうかも分かりません。
ただ、最近思うのは、この生き方が「正しい」かどうかより、「苦しい」って感覚の方が、なんか正直だなってことです。
たぶん今は、壊したいわけでもなくて、手放したいわけでもなくて。
でも、「この前提に違和感が出てきてるだけ」なんだと思います。
意味を信じたい自分と、意味に縛られてる自分が、同時にいる感じ。
答えは出ないし、出さなくていい気もします。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
