#17「生きるために働く」が無理だった【自分探しログ】

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今日は、「何のために仕事をするんだろう」って考えていました。

前はずっと、「好きなことを仕事にしたい」って思っていたんです。

天職とか、やりたいこととか、そういう言葉を信じていたし、探していました。

結局見つからないまま、大学を卒業して、無職になって、それでもどこかで「もしかしたら」って。

理屈では分かっているんですよね。

天職なんて、簡単に見つかるものじゃないって。

運もあるし、実力もいるし、性格もある。

僕は飽きっぽいし、「これだ」と思ったことも、気分が変われば簡単に手放してきました。

だから多分、理性的にはもう期待していないんだと思います。

でも、感情はまだどこかで期待している。

「生きるために仕事をする」って言葉が、どうしても苦手で。

「命を繋ぐために働く」っていう構造が、なんか、受け入れられないんです。

それが現実なのは分かっているのに、それをそのまま自分の生き方として飲み込むのが、すごくしんどい。

ただ時間を切り売りして、やりたくないことをやって、生き延びるためだけに働く。

それって、なんか、自分が自分じゃなくなっていく感じがするというか。

存在が薄くなる感じがして、怖いんです。

だからなのかもしれないけど、僕は仕事に「物語」をつけたくなる。

夢のためとか、目標のためとか、将来のためとか。

構造的には同じなのに。

「時間を使ってお金を得る」っていう意味では同じなのに、「生きるため」だと耐えられなくて、「夢のため」だと少しだけ耐えられる。

これは、冷静に考えると変だなって思います。

結局、どちらも目的のために自分を使っている構造は同じで、ただ意味づけが違うだけ。

でも、多分意味づけがないと無理なんだと思うんです。

意味がない苦しさって、ただの消耗になりますからね。

夢とか目標とか物語があると、同じしんどさでも「投資」みたいに感じられる。

消費じゃなくて、蓄積している感覚になるんです。

それがないと、ただ削れていくだけになる気がして。

あと、多分物語がないと、自分の存在が空っぽになる感じがするんだと思います。

ただ働いている人、ただ生きている人、ただ消費している人。

それだけの自分を、自分自身が受け止めきれないのかもしれません。

「夢に向かっている自分」とか、「目的を持っている自分」とか、そういう定義がないと、自分を肯定できないというか。

結局、仕事の意味を正当化しているようで、自分の存在を正当化しているだけなのかもしれません。

最近は「明確な稼ぐ目的」があればいいって思うようになりましたが、それも結局、物語を別の形に変えただけなのかもしれないなって思うんです。

天職っていう物語が壊れたから、今度は「夢のためのお金」っていう物語に置き換えただけ。

構造は変わっていないのに、ラベルだけ変えている感じがして。

それでも、ラベルがないと、やっぱり耐えられない気もします。

意味がない状態で生きるって、たぶん思っている以上にしんどい。

だから僕は、労働そのものが嫌なんじゃなくて、「意味を失った自分」でいることが、一番怖いのかもしれません。

仕事が怖いんじゃなくて、無意味な状態の自分が怖いというか。

それを避けるために、物語を作って、目的を作って、意味を貼り付けている。

正直、それが健全なのかも分からないし、歪んでいるのかも分かりません。

ただ、今の僕は、意味がないまま働く自分より、意味を作って働く自分の方が、まだマシだと思えているだけです。

それが本当に答えなのかも分からないし、この考え方がどこまで持つのかも分かりません。

多分また変わると思うし、また違う物語を作るのかもしれません。

でも今はまだ、意味のない労働と向き合う勇気はない。

だから今日も、「何のために仕事をするのか」って考えながら、答えを作っている途中なんだと思います。

作っているというより、探しているというより、多分、貼り付けているだけなんですけど。

その貼り付けが剥がれたときに、自分がどうなるのか。

正直、ちょっと怖いなって思います。

まだその先のことまでは、考えられません。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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