今日は、「何のために仕事をするんだろう」って考えていました。
前はずっと、「好きなことを仕事にしたい」って思っていたんです。
天職とか、やりたいこととか、そういう言葉を信じていたし、探していました。
結局見つからないまま、大学を卒業して、無職になって、それでもどこかで「もしかしたら」って。
理屈では分かっているんですよね。
天職なんて、簡単に見つかるものじゃないって。
運もあるし、実力もいるし、性格もある。
僕は飽きっぽいし、「これだ」と思ったことも、気分が変われば簡単に手放してきました。
だから多分、理性的にはもう期待していないんだと思います。
でも、感情はまだどこかで期待している。
「生きるために仕事をする」って言葉が、どうしても苦手で。
「命を繋ぐために働く」っていう構造が、なんか、受け入れられないんです。
それが現実なのは分かっているのに、それをそのまま自分の生き方として飲み込むのが、すごくしんどい。
ただ時間を切り売りして、やりたくないことをやって、生き延びるためだけに働く。
それって、なんか、自分が自分じゃなくなっていく感じがするというか。
存在が薄くなる感じがして、怖いんです。
だからなのかもしれないけど、僕は仕事に「物語」をつけたくなる。
夢のためとか、目標のためとか、将来のためとか。
構造的には同じなのに。
「時間を使ってお金を得る」っていう意味では同じなのに、「生きるため」だと耐えられなくて、「夢のため」だと少しだけ耐えられる。
これは、冷静に考えると変だなって思います。
結局、どちらも目的のために自分を使っている構造は同じで、ただ意味づけが違うだけ。
でも、多分意味づけがないと無理なんだと思うんです。
意味がない苦しさって、ただの消耗になりますからね。
夢とか目標とか物語があると、同じしんどさでも「投資」みたいに感じられる。
消費じゃなくて、蓄積している感覚になるんです。
それがないと、ただ削れていくだけになる気がして。
あと、多分物語がないと、自分の存在が空っぽになる感じがするんだと思います。
ただ働いている人、ただ生きている人、ただ消費している人。
それだけの自分を、自分自身が受け止めきれないのかもしれません。
「夢に向かっている自分」とか、「目的を持っている自分」とか、そういう定義がないと、自分を肯定できないというか。
結局、仕事の意味を正当化しているようで、自分の存在を正当化しているだけなのかもしれません。
最近は「明確な稼ぐ目的」があればいいって思うようになりましたが、それも結局、物語を別の形に変えただけなのかもしれないなって思うんです。
天職っていう物語が壊れたから、今度は「夢のためのお金」っていう物語に置き換えただけ。
構造は変わっていないのに、ラベルだけ変えている感じがして。
それでも、ラベルがないと、やっぱり耐えられない気もします。
意味がない状態で生きるって、たぶん思っている以上にしんどい。
だから僕は、労働そのものが嫌なんじゃなくて、「意味を失った自分」でいることが、一番怖いのかもしれません。
仕事が怖いんじゃなくて、無意味な状態の自分が怖いというか。
それを避けるために、物語を作って、目的を作って、意味を貼り付けている。
正直、それが健全なのかも分からないし、歪んでいるのかも分かりません。
ただ、今の僕は、意味がないまま働く自分より、意味を作って働く自分の方が、まだマシだと思えているだけです。
それが本当に答えなのかも分からないし、この考え方がどこまで持つのかも分かりません。
多分また変わると思うし、また違う物語を作るのかもしれません。
でも今はまだ、意味のない労働と向き合う勇気はない。
だから今日も、「何のために仕事をするのか」って考えながら、答えを作っている途中なんだと思います。
作っているというより、探しているというより、多分、貼り付けているだけなんですけど。
その貼り付けが剥がれたときに、自分がどうなるのか。
正直、ちょっと怖いなって思います。
まだその先のことまでは、考えられません。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
