#20 完璧を目指す自分に、少し疲れた夜【自分探しログ】

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最近考えていることがあって、「自分は完璧主義なんだろうな」っていうことです。

完璧主義で良い思いをした記憶って、正直ほとんどなくて。

だいたい、疲れるだけで終わるんですよね。

時間をかけて、考えて、悩んで、整えて、それでも「まだ足りない」って思ってしまう。

自分が納得できていないものを、人が納得するわけがない。

どこかでずっとそう思ってきました。

自分が認められないものを、他人が認めるはずがないって。

でも、本当はそんなことないんですよね。

ブログを一記事書いただけでも、動画を一本出しただけでも、「よかったです」って言ってくれる人はいるかもしれない。

頭では、わかってるんです。

でも、なぜか素直に信じられない。

お世辞でも嬉しいはずなのに、心の奥では、無意識に拒否している感じがして。

むしろ、褒められることで苦しくなることもあって。

「本当の自分はそんなにすごくないのに」「なんか嘘をついているみたいだな」って。

偽っている感覚というか、虚しさというか…。

認められたいのに、認められたら「そんなことない」って否定する。

この矛盾がずっと自分の中にあります。

僕は未完成が苦手です。

間違えるのも苦手です。

ちゃんとしていない状態が、すごく不安になります。

だからなのか、「完璧な人」ってどこか近寄りがたい存在で。

むしろ、自分はコンプレックスを抱えている人とか、弱さを持っている人に寄り添いたいって思っているんです。

なのに、自分自身には、完璧を求め続けている。

不完全な人に寄り添いたいって言いながら、不完全な自分は許していない。

このズレが、最近ずっと引っかかっています。

他人の未完成は受け入れられるのに、自分の未完成は受け入れられない。

他人の弱さは尊重できるのに、自分の弱さは否定してしまう。

それって、なんなんだろうなって。

疲れてしまったから、こうやって未完成の日記を書くようになりました。

ちゃんと整えないまま出す。

まとめきらないまま出す。

答えを出さないまま出す。

今までだったら、何時間もかけて作って、結局「まだダメだ」って思って、ゴミ箱に捨てていたものばかりでした。

だから、未完成のまま出すって、すごく変な感覚なんですよね。

怖いし、違和感もあるし、「これでいいのかな」って思い続けてます。

でも今の自分には、たぶん必要なことなんだろうなって。

これは発信というより、自分を許す練習なのかもしれません。

未完成でもいいって。

基準を下げてもいいって。

厳しくしなくてもいいって。

そう思いたいだけなのかもしれないけど。

完璧主義は疲れます。

それはもう、たくさん経験してきました。

未完成のまま出すことは、ある意味、勇気がいる行為で。

それを「正当化」しながら、少しずつ慣れようとしている感じです。

でも、寄り添いたい自分と、完璧を求める自分が、ずっと同時に存在していて。

どっちが本当なのかも、正直よくわからなくて。

もしかしたら、「寄り添う側」でいることで、「未完成な側」に立たなくて済んでいるだけなのかもしれないし。

もしかしたら、完璧を目指すことで、自分の存在価値を保っているだけなのかもしれないし。

まだ言葉にならない違和感だけが残っていて、答えは全然出ていません。

ただ、未完成なまま出している今の自分も、完璧を目指していた過去の自分も、どちらも同じ自分なんだろうな、とは思います。

その二つがどう繋がっているのかは、まだよく分かりません。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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