最近考えていることがあって、「自分は完璧主義なんだろうな」っていうことです。
完璧主義で良い思いをした記憶って、正直ほとんどなくて。
だいたい、疲れるだけで終わるんですよね。
時間をかけて、考えて、悩んで、整えて、それでも「まだ足りない」って思ってしまう。
自分が納得できていないものを、人が納得するわけがない。
どこかでずっとそう思ってきました。
自分が認められないものを、他人が認めるはずがないって。
でも、本当はそんなことないんですよね。
ブログを一記事書いただけでも、動画を一本出しただけでも、「よかったです」って言ってくれる人はいるかもしれない。
頭では、わかってるんです。
でも、なぜか素直に信じられない。
お世辞でも嬉しいはずなのに、心の奥では、無意識に拒否している感じがして。
むしろ、褒められることで苦しくなることもあって。
「本当の自分はそんなにすごくないのに」「なんか嘘をついているみたいだな」って。
偽っている感覚というか、虚しさというか…。
認められたいのに、認められたら「そんなことない」って否定する。
この矛盾がずっと自分の中にあります。
僕は未完成が苦手です。
間違えるのも苦手です。
ちゃんとしていない状態が、すごく不安になります。
だからなのか、「完璧な人」ってどこか近寄りがたい存在で。
むしろ、自分はコンプレックスを抱えている人とか、弱さを持っている人に寄り添いたいって思っているんです。
なのに、自分自身には、完璧を求め続けている。
不完全な人に寄り添いたいって言いながら、不完全な自分は許していない。
このズレが、最近ずっと引っかかっています。
他人の未完成は受け入れられるのに、自分の未完成は受け入れられない。
他人の弱さは尊重できるのに、自分の弱さは否定してしまう。
それって、なんなんだろうなって。
疲れてしまったから、こうやって未完成の日記を書くようになりました。
ちゃんと整えないまま出す。
まとめきらないまま出す。
答えを出さないまま出す。
今までだったら、何時間もかけて作って、結局「まだダメだ」って思って、ゴミ箱に捨てていたものばかりでした。
だから、未完成のまま出すって、すごく変な感覚なんですよね。
怖いし、違和感もあるし、「これでいいのかな」って思い続けてます。
でも今の自分には、たぶん必要なことなんだろうなって。
これは発信というより、自分を許す練習なのかもしれません。
未完成でもいいって。
基準を下げてもいいって。
厳しくしなくてもいいって。
そう思いたいだけなのかもしれないけど。
完璧主義は疲れます。
それはもう、たくさん経験してきました。
未完成のまま出すことは、ある意味、勇気がいる行為で。
それを「正当化」しながら、少しずつ慣れようとしている感じです。
でも、寄り添いたい自分と、完璧を求める自分が、ずっと同時に存在していて。
どっちが本当なのかも、正直よくわからなくて。
もしかしたら、「寄り添う側」でいることで、「未完成な側」に立たなくて済んでいるだけなのかもしれないし。
もしかしたら、完璧を目指すことで、自分の存在価値を保っているだけなのかもしれないし。
まだ言葉にならない違和感だけが残っていて、答えは全然出ていません。
ただ、未完成なまま出している今の自分も、完璧を目指していた過去の自分も、どちらも同じ自分なんだろうな、とは思います。
その二つがどう繋がっているのかは、まだよく分かりません。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
