今日は、「生きているだけで偉い」という言葉について考えていました。
この言葉は、たぶんすごく優しい言葉なんだと思うんですけど、どうしても自分の中に、うまく入ってこない感覚があって。
昔、燃え尽きていた時期に、こういう言葉をたくさん探しては、自分に言い聞かせていました。
「生きてるだけで偉い」「それだけですごいんだ」って。
でも、不思議と、あまり救われる感じがしなかったんですよね。
信じようとはしてたんですけど、どこかで、ずっと引っかかっていて。
「何が偉いんだろう」とか、「何がすごいんだろう」とか。
世の中には、当たり前に生きている人がたくさんいて、呼吸するみたいに、特別な意識もなく生きている人もいて。
そういう人たちの中で、ただ生きているだけの自分に、本当に価値ってあるんだろうか、って。
正直に言うと、あの頃の自分は、誰の役にも立っていなかったと思います。
何も生み出していなくて、何も与えていなくて。
それで「生きてるだけで偉い」と言われても、どこかで納得できなかったんですよね。
死ななかった理由も、「自分が偉いから」とか「価値があるから」じゃなくて、両親が悲しむだろうな、とか、愛されている感覚があったから、だった気がします。
だからたぶん、僕が欲しかった言葉って、「生きてるだけで偉い」じゃなくて、「あなたは誰かの役に立てるよ」だったのかもしれません。
存在していること自体よりも、意味があること、役割があること、誰かと繋がっていることの方が、僕にとっては、生きる理由になりやすかった気がします。
自分を無理やり肯定することも、やってみたことはあるんですけど、それもあまり効果がなくて。
むしろ、無理に肯定しようとすると、「今の自分を否定してる感じ」がしてしまって。
それなら、意味を探している方が、まだ自然だったんですよね。
存在意義とか、役割とか、自分がここにいる理由みたいなものを。
燃え尽きから少し立ち直ったきっかけも、「人は必ず死ぬんだ」って実感した時でした。
どうせ死ぬなら、好きなことやろう、って思って。
夢を探し始めて、少しずつ希望みたいなものが生まれて。
バイトを始めた時に、初めて「自分にも役割がある」って思えたのも、結構大きかったです。
今でも、「生きてるだけで偉い」という言葉を、僕はあまり信じられていません。
役に立たない言葉だな、と感じることも正直あります。
だから、無理に肯定するよりも、意味を探す方を選んでいる気がします。
意味とか、存在意義とか、夢とか、役割とか。
でも最近、ふと考えることもあって。
もし意味を生んでいない自分がいたとしたら、その自分は、どこにいるんだろう、とか。
何も生み出していない時間とか、何もしていない自分って、自分の中で、どう扱われているんだろうな、とか。
意味を探している自分は、たぶん許せているんですけど、意味がないまま存在している自分は、どこか宙ぶらりんな感じがして。
存在しているけど、成立していない感じというか。
生きてはいるけど、「ここにいていい」とは言えていない感じ。
休んでいる時間も、回復というより、「止まっている感じ」に見えてしまうことがあって。
何もしていない自分を、ちゃんと「自分」として扱えているのかどうかも、よくわからなくなります。
もしかしたら、僕はずっと、「生きていいかどうか」じゃなくて、「意味を生めているかどうか」を問い続けているのかもしれません。
存在していることよりも、成立しているかどうか。
生きているかどうかよりも、意味に接続しているかどうか。
そう考えると、少し息苦しい感じもしますし、でも、これが自分の生き方なんだろうな、とも思います。
意味を探している間は、たぶん、自分は動いていられる。
でも、意味を失ったとき、その自分は、どこに行くんだろう、とか。
意味がない自分って、本当に「空っぽ」なのか、それとも、ただの状態なのか。
正直、まだよくわかりません。
ただ、最近は、意味を探している自分と、何も生んでいない自分の間に、少し距離がある気がしていて。
その距離が、苦しさなのか、余白なのか、それとも、ただの空白なのかも、まだ言葉にできません。
たぶん、僕はこれからも、意味を探し続けるんだと思いますし、同時に、意味を生んでいない時間を、どう扱うかも考え続けるんだと思います。
それが正しいのかどうかも分からないままですし、無理に答えを出す気もなくて。
ただ今は、生きている自分と、意味を生んでいる自分と、何も生んでいない自分が、僕の中で、うまく重なっていなくて。
そのズレを、どう扱えばいいのか、どう言葉にすればいいのかを、少しずつ考えている途中です。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
