最近、自分の中に「削ぎたい」という気持ちがずっとある気がしています。
物も、人間関係も、考え方も、情報も。
減らしたいというより、「静かにしたい」という感覚に近いのかもしれません。
今、坊主にしようか迷っているのですが、それもその延長線上にある気がしています。
髪型の問題というより、たぶん象徴的な話で。
「何かを減らしたい」という感覚が、たまたま髪の毛に向いているだけ、みたいな。
最近、世界がずっと騒がしい感じがするんですよね。
音がうるさいという意味じゃなくて、情報とか、評価とか、比較とか、選択肢とか。
どこを見ても「もっと」「まだ足りない」「他人はこうしてる」みたいなメッセージが流れてきて、それを見てるだけで、頭の中がずっと動き続けている感じがします。
本当は何も考えずにいたいだけなのに、気づくとずっと何かを処理している感覚があって。
考えなくてもいいことまで考えている気がして、「空白」が欲しいな、と思うようになりました。
でもその「空白」って、何かを足すことで生まれるものじゃなくて、たぶん削ぐことでしか生まれない気がしているんですよね。
予定を減らすとか、人と会う頻度を下げるとか、情報を見る量を減らすとか、物を減らすとか。
全部、「世界を小さくしたい」という感覚に近いのかもしれません。
「楽になりたい」というより、「管理できるサイズにしたい」みたいな感覚です。
自分の中で処理できる範囲に、世界を縮めたいというか。
世界が悪いわけじゃなくて、自分のキャパシティの問題なんだろうな、と思います。
削ぐことで安心するのって、たぶん自由になりたいからじゃなくて、不安を減らしたいからなんですよね。
何も決めなくていい状態になりたい。
評価されない状態になりたい。
選ばなくていい状態になりたい。
それって、癒しというより、一時的に世界との接続を切りたい感覚に近いのかもしれません。
でも同時に、完全に切りたいわけでもなくて。
人の中で生きたいし、誰かに理解されたいし、深いところで認められたい気持ちも、ちゃんと残っています。
だからたぶん、消えたいわけじゃなくて、休みたいだけ。
存在をやめたいわけじゃなくて、存在の密度を下げたいだけ、みたいな。
「何者でもない時間」が欲しいだけなのかもしれません。
何者かでいなきゃいけない感じ、定義され続ける感じ、役割を持ち続ける感じに、少し疲れているだけなのかも、と思います。
削ぐ思想とか、シンプル化とか、空白への欲望って、全部つながっている気がしていて。
どれも、「楽になりたい」というより、「世界との距離を一度取りたい」という感覚に近い。
坊主にするかどうかも、本質的には髪型の話じゃなくて、「どこまで世界と接続していたいか」という話なのかもしれません。
削ぐことで安心するけど、削ぎすぎると孤独になる。
近づくと疲れるけど、離れすぎると寂しくなる。
たぶん、ずっとその間を行ったり来たりしているんだと思います。
今の僕は、少し世界が近すぎる気がしていて。
刺激が多すぎて、情報が多すぎて、比較が多すぎて、評価が多すぎて。
だから、少し距離を取りたいだけなのかもしれません。
坊主にするかどうかは分からないけど、たぶん本当に欲しいのは髪型じゃなくて、「余白」なんだと思います。
静かな時間。
何も定義されない時間。
何も期待されない時間。
何も判断しなくていい時間。
でも、そこにずっといたいわけでもなくて。
ただ、戻れる場所としての空白、みたいなものが欲しいのかもしれません。
削ぎたいけど、消えたいわけじゃない。
離れたいけど、孤独になりたいわけじゃない。
静かにしたいけど、無になりたいわけじゃない。
たぶん、自分の中で、「関わりたい」と「離れたい」が同時に存在していて、そのバランスが今ちょっと崩れているだけなんだと思います。
削ぐことで軽くなるのか、空白を作ることで落ち着くのか、それとも、ただ疲れているだけなのか。
正直、自分でもよく分かりません。
でも、こうやって考えていること自体が、もうすでに「考えすぎ」なのかもしれなくて。
本当は、何も考えずに、ただ静かにしていたいだけなのかもしれません。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
