#32 選べないことが、ずっと怖かった【自分探しログ】

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今日は、自分の「自由」について考えていました。

僕はずっと自由でいたいと思っています。

昔はそれを、なんとなく「かっこいいから」とか「縛られたくないから」とか、そんな軽い理由だと思っていました。

でも最近、それだけじゃない気がしてきたんですよね。

もしかしたら僕は、自由が好きなんじゃなくて、何かを恐れているのかもしれません。

子どもの頃、僕はかなり管理されていました。

ゲームは禁止で、流行っていたDSもPSPもWiiも、何一つ持っていませんでした。

誕生日やクリスマスでも例外はなくて、門限も厳しかったです。

1分でも過ぎれば家の鍵が閉まる。

テレビもあまり見れなかったので、友達の話題についていけないことも多かった。

それが悪い環境だったのかと聞かれたら、そうとも言い切れません。

そのおかげで「いい子」にはなれたと思うから。

大きく道を外すこともなかったし、勉強もそれなりにやりました。

でも、その中で僕はあまり「選んでいる感覚」がなかった気がします。

中学の部活も、本当はやりたくない競技でした。

でも、家族がやっていたから、別のものを選んだら失望される気がして、仮入部の日から嫌だったのに、結局そのまま続けました。

大学も一度辞めようと思いましたが、学費を払っているのは自分じゃなかったので辞めませんでした。

部活も寮生活も窮屈で仕方がない。

人間関係も最悪で、「なんでこんな場所にいなきゃいけないんだろう」って何度も思いましたね。

そして、部活を辞めたとき、一瞬だけ自由になった気がしたんです。

あの感覚は今でも覚えています。

でも現実はあまり変わらなくて、僕は相変わらず「完全な自由」からは遠い場所にいました。

今、僕は会社で働いています。

正直、支配構造の中にいることは根本的に嫌です。

でも、今考えられる最適な選択肢が「働くこと」だった。

だから、経済的自由を目指すための通過点として、ここにいます。

お金を稼げることは嬉しい。

自分の力で生きている感覚があるから。

職場で思うことがあっても、基本的に何も言いません。

稼ぐこと、それだけを重視しているからです。

今は耐えるフェーズだと自分に言い聞かせています。

ここで最近気づいたのは、僕が本当に恐れているのは「失敗」そのものじゃないのかもしれない、ということです。

僕が怖いのは、選びたい選択肢を選べない状況。

そして、もし誰かの支配下で自分の望む選択をして失敗したら、立場を失うこと。

それが怖い。

だから無意識のうちに、本心ではないものを選んできたのかもしれません。

安全な方を選んで、波風を立てずに、立場を守る。

でも、将来的には、それは嫌なんですよね。

僕は僕が望むものを選びたい。

ただ、その先が成功するか失敗するかは分からない。

未来は保証されていない。

それを考えると勇気が出ない。

その状況も嫌だし、勇気を出せない自分も嫌です。

僕が言う「自由」は、たぶん全て自己完結の状態。

誰にも支配されず、失敗しても立場を失わず、承認に依存しない状態。

でも本当にそんな状態があるのかは、正直よく分かりません。

経済的自由を手に入れたとしても、市場や社会構造の中では生きていくはずです。

完全な独立なんて幻想なのかもしれません。

それでも僕は、主導権を握りたいんだと思います。

失敗するなら、自分の責任で失敗したい。

他人の枠組みの中で転ぶのは嫌。

僕は自由が欲しいのか。

それとも、傷つかない構造が欲しいのか。

支配が嫌なのか。

評価が怖いのか。

それとも、情けない自分を見たくないだけなのか。

今はまだ答えが出ません。

ただ、少なくとも、僕はもう「無意識に従う」ことはしたくないと思っています。

今は戦略的に従っているつもりです。

でも、それが本当に自由への道なのかは、まだ分かりません。

もしかしたら、自由という言葉の定義から間違っているのかもしれないし、僕はずっと同じ構造の中をぐるぐるしているだけなのかもしれません。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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