最近、自分の中にずっとある構造について、よく考えています。
多分、僕の中ではずっと「お金=自由」なんだと思います。
自由って言っても、贅沢するとか、好きなものを買えるとか、そういう意味じゃなくて。
いつでも逃げられるとか、選択肢がなくならないとか、縛られないとか、そういう意味での自由です。
だから、お金がある状態って、安心なんですよね。
お金が減ると、自由が減る感じがして、選択肢が削られていく感覚がして、それがすごく怖いんです。
職場の人たちと趣味を一緒にやりたいかって言われると、正直、そこまで思いません。
まだ親しくないですし、無理して体験を共有したいとも思わない。
それは別に不自然でもない気はしています。
でも、もし親友に、「2泊3日で旅行行こう」って言われたらどうするだろうって考えたとき、それは即答できないな、と思いました。
関係を壊したくないから、前向きには考えると思うんです。
でも、今すぐ行きたいかって言われたら、正直、そこまでじゃない。
旅行って、割とまとまったお金が消えますよね。
お金が消えることに対する抵抗感が、多分、普通の人よりかなり強いんだと思います。
「お金がなくなったら、また稼げばい」
それも頭では分かってるんですけど、でも、いつ稼げなくなるかは分からないじゃないですか。
今は派遣社員で、決して安定してる立場でもないですし。
「もし働けなくなったらどうなるんだろう」とか、「市場価値がなくなったらどうなるんだろう」とか、そういうことを考えると、貯金が100万円あっても全然安心できないし、多分1000万円あっても、そこまで安心できない気がします。
金額の問題じゃないんですよね、多分。
お金そのものが怖いというより、稼げなくなる未来が怖いというか、選択肢がなくなる状態が怖いというか。
だから、節約してるんだと思います。
「節約が趣味」って言い方もしてきたけど、多分それだけじゃなくて、節約って、安全装置みたいなものなんだと思います。
管理できている状態が安心で、予測できる状態が安心で、変数が少ない状態が安心で。
お金を使うっていう行為が、楽しみよりも先に、不安として感じられる。
体験とか、旅行とか、趣味とか、本当は興味はあるんです。
やりたい気持ちもあります。
でも、それをやることで、「安全」が減る感じがして、「自由」が減る感じがして、「逃げ道」が狭くなる感覚がして。
だから、多分僕はずっと、「生きる」より「生き延びる」っていう構造で生きてきたんだと思います。
詰まないことが最優先で、落ちないことが最優先で、縛られないことが最優先で。
それはそれで、すごく合理的で、壊れにくくて、安全な生き方だとは思うんですけど。
でも、その構造のままだと、体験って増えないし、記憶も増えないし、世界も広がらない気がして。
それでも、無理に変えたいかと言われると、それもよく分からないんですよね。
防衛を下げるのは怖いし、管理を手放すのも怖いし、不確実性を受け入れるのも怖い。
でも同時に、このまま「守る」ことだけを最適化し続けた人生って、どうなるんだろう、とも思ったりして。
失わない人生にはなるかもしれないけど、積まれる人生にはならないのかもしれないな、とか。
「生き延びる構造」と「生きる構造」って、多分、どっちかが正しいとかじゃなくて、設計思想の違いなんだと思うんですよね。
今の僕は、完全に生き延びる側に寄っていて、安全装置が人生の中心にあって、他のものは全部、その外側にある感じで。
これを変えたいのかどうかも、正直、まだよく分からないです。
変えたほうがいいとも思いきれないし、このままでいいとも思いきれないし。
ただ、自分が「生きている」感覚と、「守っている」感覚が、だいぶズレてきている気はしていて。
どこかで、この構造自体を、一回ちゃんと見つめ直さないといけない気はしてます。
でも、どう変えるのかとか、変えるべきなのかとか、そもそも変えたいのかどうかも、今はまだ言葉にできなくて。
多分、今の僕は、生き延びる構造の中にいながら、生きる構造を頭の中でだけ考えている状態で。
それが正しいのかどうかも分からないし、どこに向かっているのかも分からないけど、とりあえず今は、その違和感だけが残っている感じです。
多分、答えは出ないままなんだと思います。
少なくとも、今はまだ。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
