今日は、「認められたい欲求」について考えていました。
正直に言うと、僕はずっと、この欲求をあまり良くないものだと思っていました。
「承認欲求」って言葉もどこかネガティブな響きがあるし、他人に依存している感じがして、できれば持たない方がいいものみたいな。
でも、じゃあ本当にそうなのかって、最近思うようになりました。
僕は多分、かなり強く認められたいタイプです。
誰かにすごいと思われたいし、意味がある存在だと思われたいし、できればちゃんと評価されたい。
それを隠そうとしてきたけど、多分隠せてはいなかったと思います。
ブログもYouTubeも、最初は自分のためって言いながら、どこかでずっと、誰かに認められる瞬間を想像していた気がします。
で、結果が出ないと一気に虚しくなる。
「やっぱり自分はダメなのか」
「誰にも必要とされてないんじゃないか」
そんな考えが頭を占領する。
この状態になると、「認められたい欲求」って自分を苦しめるものに見えてきます。
だから、「この欲求を手放さなきゃいけない」。
そう思った時期もありました。
でも最近、そもそも認められたいって、そんなにおかしなことなんだろうかって。
「誰かに見てもらいたい」
「誰かにわかってもらいたい」
それって人として自然なことなんじゃないか。
問題なのは、認められたいこと自体じゃなくて、「認められないと自分の存在がゼロになる」。
そう思ってしまうことなのかもしれません。
認められたい欲求が「原動力」になることもあれば、「首を締める鎖」になることもある。
その境目が、多分すごく曖昧です。
僕の場合、認められたい欲求が強すぎて、結果が出ない時間を、全部無意味に感じてしまっていた気がします。
でも、考えて、悩んで、迷って、それでも何かを作ろうとしている時間って、本当に無なんだろうか。
誰にも見られていなくても、誰にも評価されていなくても、その時間は確実に、自分の中に積み重なっている。
そう思えたら、認められたい欲求は、少しだけ優しく扱える気がしています。
まだ完全には割り切れていません。
正直今も評価は欲しいです。
数字も気になります。
でも、認められたい自分を否定しない。
そこから始めてもいいのかなと。
認められたいと思いながら、それでも自分の言葉を出す。
評価されていなくても、「今日はこれを考えていた」と残す。
その積み重ねの先に、もし誰かの共感があったら、それは副産物として受け取れたらいい。
そんなふうに今は考えています。
まだ答えは出ていません。
たぶん、しばらく揺れると思います。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
