#5 認められたい欲求は悪なのか【自分探しログ】

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今日は、「認められたい欲求」について考えていました。

正直に言うと、僕はずっと、この欲求をあまり良くないものだと思っていました。

「承認欲求」って言葉もどこかネガティブな響きがあるし、他人に依存している感じがして、できれば持たない方がいいものみたいな。

でも、じゃあ本当にそうなのかって、最近思うようになりました。

僕は多分、かなり強く認められたいタイプです。

誰かにすごいと思われたいし、意味がある存在だと思われたいし、できればちゃんと評価されたい。

それを隠そうとしてきたけど、多分隠せてはいなかったと思います。

ブログもYouTubeも、最初は自分のためって言いながら、どこかでずっと、誰かに認められる瞬間を想像していた気がします。

で、結果が出ないと一気に虚しくなる。

「やっぱり自分はダメなのか」

「誰にも必要とされてないんじゃないか」

そんな考えが頭を占領する。

この状態になると、「認められたい欲求」って自分を苦しめるものに見えてきます。

だから、「この欲求を手放さなきゃいけない」。

そう思った時期もありました。

でも最近、そもそも認められたいって、そんなにおかしなことなんだろうかって。

「誰かに見てもらいたい」

「誰かにわかってもらいたい」

それって人として自然なことなんじゃないか。

問題なのは、認められたいこと自体じゃなくて、「認められないと自分の存在がゼロになる」。

そう思ってしまうことなのかもしれません。

認められたい欲求が「原動力」になることもあれば、「首を締める鎖」になることもある。

その境目が、多分すごく曖昧です。

僕の場合、認められたい欲求が強すぎて、結果が出ない時間を、全部無意味に感じてしまっていた気がします。

でも、考えて、悩んで、迷って、それでも何かを作ろうとしている時間って、本当に無なんだろうか。

誰にも見られていなくても、誰にも評価されていなくても、その時間は確実に、自分の中に積み重なっている。

そう思えたら、認められたい欲求は、少しだけ優しく扱える気がしています。

まだ完全には割り切れていません。

正直今も評価は欲しいです。

数字も気になります。

でも、認められたい自分を否定しない。

そこから始めてもいいのかなと。

認められたいと思いながら、それでも自分の言葉を出す。

評価されていなくても、「今日はこれを考えていた」と残す。

その積み重ねの先に、もし誰かの共感があったら、それは副産物として受け取れたらいい。

そんなふうに今は考えています。

まだ答えは出ていません。

たぶん、しばらく揺れると思います。

今日はこれでおしまいです。

ではまた。

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この記事を書いた人

2001年生まれ。
「自分の幸せ」を追求しています。
日々の気づきや思ったこと、シェアしたいこと、とにかく書きたいことを書く雑記ブログです。

ワンピース、進撃の巨人、トリコ好き。

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