今日は、「成果を求める自分」について話してみたいと思います。
正直に言うと、僕はずっと「成果主義」みたいな考え方が、好きじゃありませんでした。
結果だけで人を判断するとか、数字が出ていない人を何もしていないと見る感じ。
でも、自分も気づいたら同じことをしているなと思いました。
再生数、収益、資産額。
これが増えていないと、自分の一日が全部無意味だったように感じてしまう。
この感覚を本当は手放したいです。
「考えていた時間も意味がある」
「もがいている期間も必要だ」
頭ではわかっているつもりです。
でも、心は全然納得していない。
多分僕は、成果を求める自分を「浅い」とか「弱い」とか、そう思いたくないんだと思います。
それを認めたら、今までの選択が全部不安定に見えてしまうから。
自由を選んだ。
安定を捨てた。
自分の人生を生きている。
そう言いたい反面、結果が出ていない自由はやっぱり怖いです。
だから成果を求めてしまう。
誰かに認められる数字があれば、「間違ってなかった」と自分に言える気がする。
これは、承認欲求なのかもしれません。
承認欲求って、どこか悪者扱いされがちですよね。
「人に認められなくてもいい」
「自分軸で生きろ」
みたいな言葉もたくさん見てきました。
でも、今の僕は、まだそこまで強くなれない。
成果を求める自分を完全に否定してしまったら、今度は何を信じればいいのか、わからなくなりそうです。
だから、嫌いだけど手放せない。
もしかしたら、「成果を求める自分」は、敵じゃないのかもしれません。
ただ不安を抱えたまま、必死に前に進もうとしているだけ。
そう考えると、少しだけ見方が変わる気もしています。
この感覚が、いつか変わるのかどうかはまだわかりません。
ある日突然、「もう数字はいらない」と思える日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
今はただ、成果を求める自分を無理に直そうとせずに、そういう自分もいるという状態で、置いておこうと思っています。
今日も結論はありません。
成果を求める自分が正しいのか、間違っているのかもまだわかりません。
ただ、嫌いになりきれない自分と一緒に、今日も生きようと思っています。
今日はこれでおしまいです。
ではまた。
